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堀 ひろこ 1970/8/17生まれ

「ヒロコ、あなたがいくら主役をやりたくてもそれは無理。だってあなたはイエローモンキーだから。」

アメリカ人の女教師が高校2年の堀ひろこに言った言葉。

こんな映画みたいな会話、1987年の台湾、台北市のアメリカンスクールならではの光景。

でもこの言葉が堀ひろこの人生を決めてしまうとは。「だったらいつか日本で女優になる。」

遡ること4年、その時の堀ひろこも台湾のアメリカンスクールの中学1年生。

日本から転校してきた淑子ちゃんとは同じイエローモンキー同士、すぐに大の仲良しに。

淑子ちゃんは言った。「日本ではお芝居を観に行くの。それはそれは素敵なのよ。」

1歳から台湾で育ったひろこには、日本という国が未知の世界。お芝居って何?

でも、だからこそ淑子ちゃんの言葉ひとつひとつが心に響き、想像がどんどん膨らんでいく・・・。

淑子ちゃんと二人、職員室に駆け込んだ。「私たち、演劇部を創りたいんです。」

念願叶った新設演劇部部員は全部で3人だった。

’90年帰国。日大芸術学部に進む。

同時に「アクト青山ドラマティック・スクール」(故渥美国泰氏主宰)に通う。

「普通の女の子と同じことをしていたら女優にはなれません。」これが渥美氏の教えその1。

折しもそこに「日本ドラマの父」、故大山勝美氏が「誕生!僕の左足」(NHK)で中国語を話せる女子大生役を探しているとの情報が。

オーディションに受かり、運よくデビューの道が拓いた。

「日本と中国の大スターに囲まれても堂々としていた。」

大山氏に褒められた言葉が今も耳から離れない。

渥美氏の教えも頑なに守る。日舞では花柳香凛々(はなやぎ かりり)の名前で舞台に立っている。

また、96年、歌手、日高なみ女史に薦められ、ステージで歌うようになる。

Holi-Chanson(春祭りのシャンソン=疲れが吹っ飛ぶシャンソン)を確立する為、修練を積んでいる。

頑なに自分の芸を磨こうと奮闘している。これは何よりも強い。

あの時一緒に演劇部を創った淑子ちゃんは、今はドイツから応援してくれている。

​                                                    (インタビューより編集)

 ☆代表作

[映画]   「どこまでもいこう」 塩田明彦監督(1996)

       「不夜城」 リー・チーガイ監督(1998)

       「ブルックリン橋をわたって」 横山浩之監督(2010)

[TV]    「藏」 NHKBS レギュラー(1995)

      「魔女裁判」 CX レギュラー(2009)

      「彼女のこんだて帖」 NHKBSプレミアム 11話(2013)

      「ごごネタ! くらしにピントTV」 TBS レギュラー(2015~2016)

[舞台]  「アイアイの眼」 西木正明プロデュース公演(2003)

      「突然3号」 ファンカスキャンパーズ009公演(2009)

      「ブスとたんこぶ」 cineman 公演(2011)

      「青ひげ公の城」 A・P・​B-TOKYO 公演 作:寺山修司(2013)

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